読書感想文「羅生門」

先生、宿題の読書感想文遅くなってすみません。遅れてしまったけれど、一生懸命、自分で書きました。

芥川龍之介「羅生門」(丹武浦中学校 2年B組 佐々木 花梨)

読み終わって真っ先に思った事は、すっきりしないお話だなーということです。桃太郎のように鬼を倒して「めでたしめでたし」とはならなくて、最後のシーンとかは「むしろ問題が大きくなったんじゃ?」という感じでした。何も解決していません。結末もそうですが、途中のお話もすっきりしません。どうしてなのかと考えてみたのですが、一番の理由は登場人物がみんな「中途半端」なのが原因だと思いました。


お話の冒頭で、下人は羅生門で雨宿りをしていますが、行く当てがあるわけではありません。雨が降っているからその場に留まっているだけ。とても中途半端。それに下人は仕事をクビになっているので、明日食べるものもない状態です。餓死するぐらいなら、いっそ盗人になろうかと考えているのですが、盗人になる勇気も湧いて来ません。餓死するか、盗人になるかを選べず、どっちつかずの状態で下人は心の中も中途半端です。死人の髪からカツラを作ろうとしている老婆も中途半端です。老婆は「悪いことをしているが、生きるために仕方がなくやっている」と言い訳をします。老婆は疑いようもなく悪人なわけで、そんな許しを請うような真似はしないで欲しかった。「私は悪人ですよ。それがどうかしましたか?」と開き直って欲しかったです。その老婆を下人が刀を抜きながら、とっ捕まえるのですが、それも良くありません。だって下人は、ついさっきまで盗人になるか迷っていたのですから。そんな中途半端な正義感を振りかざしたりせずに、老婆の醜態を眺め、落ちる所まで落ちると老婆のようになるのだと教訓を得るだけだけでよかったのに。最後の「下人が老婆の服を奪って走り去る」という行動も最悪です。ジス・イズ・中途半端。どうしてそんな事しちゃうかなー。


では、下人はどういった行動を取るべきだったのでしょうか? 私はどちらかに振り切るべきだったと考えます。だって想像してください。例えば缶ビールです。キンキンに冷えてびっしりと表面に水滴がついている缶ビールは議論の余地なく最高ですね! 一方で常温で放置された缶ビールは、そのままで飲めたものではないので、冷蔵庫に入れて冷やそうと考えるでしょう。すぐには飲めないけれど、それほど問題はない。一番たちが悪いのが、それなりに冷えた缶ビールです。飲んではみたものの、若干ぬるい、まあ飲めなくはないけどさー、でももうちょっとこう、うーん、まあ飲むけど、飲むんだけど! キンキン・常温、新・旧、勝ち・負け、そして善と悪、振り切るべきという意味ではどれも同様です。もし下人が「悪」に振り切ると決めたのなら、老婆をぶち殺して、服を奪い、老婆の集めていた髪を奪い、老婆自身の髪の毛も引っこ抜く、残った老婆の死体を焼いて美味しく頂く、それぐらいはして欲しかった。この世の全ての悪を体現するような存在を目指すのです。もし下人が「善」に振り切ると決めたのなら、哀れな老婆のために、刀を与え、着ている服を全部差し出すべきでした。かのブッダは、前世で飢えた虎の親子のために我が身を与えたそうです。それに比べれば全裸になるなんてたやすいこと。結局の所、下人には真の悪人になる勇気も、全裸になる勇気もなかったのです。


ちなみに私は自宅では基本的に全裸なので、今もまさに全裸です。いわゆる裸族って奴ですね。娘からは毎日のように「お父さん、お願いだからパンツだけでも履いてよ!」と言われます。娘の悲痛な訴えを前にして、正直私は「自分の信念を曲げてパンツだけでも履いた方がいいのだろうか?」と日々悶々と悩んでおりました。しかし今回「羅生門」を読んだ事で私の迷いは雲散霧消し、心は晴れ渡った青空のよう。パンツ一丁だなんて中途半端なスタイルは許されない。選択肢は、すべて着るのか、すべて脱ぐのかの二択のみ。わたくしは娘の模範となるべく、一糸まとわぬ姿で胸を張って生きていこうと、ここに決意いたしました。


f:id:notwen:20190919223507j:plain (黒澤明監督、羅生門、1950年より)